基礎体温

思索の試作。詩作の施策。

書くこと

iPadProがなんだかんだ言って気になっているが、ふつうのiPadでさえ重くて持ち運ぶのをやめたので、買っても無駄だろうと思うものの、MacBook Airの代わりになるかも、という考えも捨てきれない。

かなり久しぶりにiPad miniを持ち歩くことにした。とにかく何でもいいから帰りの電車でブログを書くことを日課にしたので、これとキーボードのセットをカバンに入れるようにした。MacBook Airを常に持ち運ぶのはさすがに重いが、iPad miniとキーボードのセットであれば、ハードカバーの本を持ち歩くのとそれほど変わらない感覚でいられる。

結局キーボードがないと不便なのである。iPadProが気になっているのも要はあのキーボードとペンシルが気になっているからに違いない。キーボードというのは、いつの間にかすっかり身体化されたデバイスとなっている。

会社で、誰もがさも当たり前の顔つきでキーボードを叩いているのをふと眺めていると、奇妙な感覚に襲われるときがある。指先は狂ったように文字を生み出し続けているのに、表情は何かに取り憑かれたような空虚さをたたえている。そのアンバランスさ加減が不安を誘う。ペンで書くときにはそうはならない。たいていは、標的を見据えた表情をしているものだ。

ペン、キーボードに代わる入力デバイスが出てくる可能性はあるのだろうか。音声入力はより進化していくだろうが、書くこととは違う行為なので代替にはならないだろう。