基礎体温

思索の試作。詩作の施策。

スマホで文字を打つ、短冊に歌を書く

左手にスマホを持ち、右手で文字を打つ姿は、左に短冊、右手に筆を持って和歌を書く姿に少し似ている。

手書きからワープロに変わったときの衝撃を覚えている。当時まだ小学生だった。我が家にワープロが来たとき、自分の打つ文章が即座に画面に活字となって現れるのが新鮮で、しょっちゅうキーボードを打っていた。

手書きとキーボードで、生み出される文章が違ってくることも体感した。人格が変わると言ったら言い過ぎだが、モードが変わるのは確かで、生み出される文章のトーンは明らかに違っていた。

次の変化は携帯だった。今ではガラケーと言われる携帯電話で、数字のボタンを連打することで生まれる文は、これまでのどれとも微妙に異なる質感を持っていた。

携帯の小さな画面に紡ぎ出される文章は、物理的な制約もあってなるべく短文であることを宿命づけられており、そこでの鍛錬が、Twitterなどのメディアへの速やかな移行を密かに準備していたのではないかと、今では思われる。

携帯からスマートフォンに代わり、フリック入力が発明されるに至って、またこれまでとは微かに異なる文章体験が育まれている。携帯とキーボードの間にあって、やや携帯に近いような。

そういえば、手書き入力というテクノロジーもあり、スマホアプリや、かつてPDAでそれに挑戦していたこともあった。あれはあれで純粋な手書きとも違う独特の体験を生み出していた。


筆で書く、鉛筆で書く、万年筆で書くといった違いのように、デジタルデバイスによっても書き手の体験は異なり、それによって、生まれてくる文章にも自ずと変化が生じてくる。おそらく書き手本人にしか(あるいは本人でさえも)わからない、微かな移ろいを愉しみつつ、言葉を綴っていきたい。