基礎体温

思索の試作。詩作の施策。

せっかちピンちゃん

わたしはあまりせっかちなたちではなく、どちらかというと気長に待つタイプだと思う。

なので、ときたま、せっかちな人が理解できず、どうしてそんなに急ぐのか、急いでもさほど結果は変わらないのに、と思うことが多々ある。

いったん気になったらそれを片付けないと気が済まない人というのがいて、そういう人は結果のことなど実はあまりに気にしてなくて、とにかく自分の気持ちが落ち着かないのが我慢できないという風情なのだ。

そんなとき、わりと宙ぶらりんにも耐えられる性質の私なんかは、結果にコミットしないその焦りに対してやや冷ややかな目線を向けてしまう。

でも、ことビジネスの世界においては、こうしたせっかち屋さんのほうがうまくいくような気がしている。私がこれまで接してきた上司なんかでも、なんだかんだ言って結果を出す優秀な人は往々にしてせっかち者だったりする。

それはなぜなのかと考えるに、特にビジネスの場においては、少しでも早く物事を処理したほうが、そのこと自体の結果が変わらないとしても、それに付随したもろもろが早めに回り始めるので、良くも悪くも全体としては進んで行くからだろう。

ということは、これは何もビジネスに限る話ではなく、物事が連関する世界においては、たいてい当てはまるのかもしれない。

とはいえ、大きな方向性がずれてないことが必要で、前述したデキる人たちはそこがぶれてないからせっかちが効果的だったりもする。そこのバランス。






スマホで文字を打つ、短冊に歌を書く

左手にスマホを持ち、右手で文字を打つ姿は、左に短冊、右手に筆を持って和歌を書く姿に少し似ている。

手書きからワープロに変わったときの衝撃を覚えている。当時まだ小学生だった。我が家にワープロが来たとき、自分の打つ文章が即座に画面に活字となって現れるのが新鮮で、しょっちゅうキーボードを打っていた。

手書きとキーボードで、生み出される文章が違ってくることも体感した。人格が変わると言ったら言い過ぎだが、モードが変わるのは確かで、生み出される文章のトーンは明らかに違っていた。

次の変化は携帯だった。今ではガラケーと言われる携帯電話で、数字のボタンを連打することで生まれる文は、これまでのどれとも微妙に異なる質感を持っていた。

携帯の小さな画面に紡ぎ出される文章は、物理的な制約もあってなるべく短文であることを宿命づけられており、そこでの鍛錬が、Twitterなどのメディアへの速やかな移行を密かに準備していたのではないかと、今では思われる。

携帯からスマートフォンに代わり、フリック入力が発明されるに至って、またこれまでとは微かに異なる文章体験が育まれている。携帯とキーボードの間にあって、やや携帯に近いような。

そういえば、手書き入力というテクノロジーもあり、スマホアプリや、かつてPDAでそれに挑戦していたこともあった。あれはあれで純粋な手書きとも違う独特の体験を生み出していた。


筆で書く、鉛筆で書く、万年筆で書くといった違いのように、デジタルデバイスによっても書き手の体験は異なり、それによって、生まれてくる文章にも自ずと変化が生じてくる。おそらく書き手本人にしか(あるいは本人でさえも)わからない、微かな移ろいを愉しみつつ、言葉を綴っていきたい。


iPad miniとUltrathin keyboardを引っ張り出して

かなり久しぶりにiPad miniを引っ張り出し、ロジクールのUltrathin keyboardを使って書いている。
このモバイルキーボードには変遷というか、気分の波のようなものがあって、不定期に3つのデバイスを使っている。

その3つとはiPad miniとUltrathin keyboard、ポメラMacBook Airである。大体この3つのローテーションになっている。携帯性ではiPad miniが便利だが、時折ストイックに文字だけ打ちたいモードになってポメラを持ち出すこともあるし、Excel含め移動中にいろいろと仕事がしたいモードの時は、ちょっと重いけどMacBook Airを持ち歩くことになる。このへんの気分の変化については自分でもよくわからない。ほんとに気分としかいいようがない。

いま通勤時間が長く、40〜50分くらい電車に乗っており、かつ朝は当駅始発の電車に乗るので確実に座れる。なので朝の通勤電車は自分のために使える時間なのだが、うっかりするとスマホを見て終わったり、すっかり寝てしまったりするので、どうせならアウトプットの時間にしてはどうかと考えた。

どうもインプット(それも大したインプットではないのだが)が多くなりがちなので、意識してアウトプットしてかないといかんなと思っている。アウトプットの手段として、とりあえずブログを書くことにしようと決め、半ば寝かせていたはてなブログを書き始めることにした。というわけでiPad miniをまた持ち歩くようになったわけである。

はっきり言って中身のないものなので公開する必要もないのだが、そうでもしないと書く動機が弱まっていきそうなので、自分のためにブログとして書いていくことに決めた。とりあえずはネタがなくてもなるべく毎朝ブログを書こうと思っている。

忘れじの尺八気分

大学時代に尺八部に入っていた。

別に興味があったわけではない。新歓時に無理やり勧誘されたまま、1年生は飲み代がタダなのをいいことに居座っていたら、2年になったときに部長にされ、やめられなくなった。

なんせタダ酒目当てだったものだから尺八にも古典邦楽にもあまり興味はなく、一応練習はしていたが、それほど真剣味もなかった。そんなわけだから、なんだかんだと大学に6年もいてしまったが、尺八は一向に上達しなかった。

大学を卒業した後は、すっかり尺八から離れてしまい、数年間まったく触らなかった。ある年にOB定演に誘われ断れず、そのときは久々に練習したが、演奏会が終わればまたぱったりとやめてしまっていた。

それが、今年になってからなぜかふと竹を吹きたくなり、やってみたら何だか妙に楽しいのだ。なぜなのかはわからない。大してうまくはないのは昔と変わらないのだが、しっくりくるというか、自分で鳴らしている感じがする。そうだ、以前はいつも乗せられているような感覚だった。今は自分から乗り込んでいるような感覚なのだ。

くり返すが決して上達しているわけではない。技術的には進歩してはいない。だが、自分からやる気になっているのは個人的には大きな変化である。

この頃では、週末に竹を持って近所の総合公園に行きやおら吹いている。人前で軽く吹けるくらいの技術には持っていきたいと思う。



今さらながらATOK

もういつからか思い出せないくらいに昔から、日本語変換にはATOKを使っています。

以前はパッケージ版を買っていましたが、割と毎年バージョンアップされるので3〜4年前からはPassportという月額定額を利用しています。


このように長年ATOKの恩恵に預かっていながら、なぜかMacではATOKを使っておりませんでした。

もともとIMEの馬鹿さ加減に辟易してATOKを使い始めたという経緯があるので、ことえりはそこまで不愉快じゃなかったということなのでしょう。

しかし、仕事でもプライベートでもMacを使う状況になってきて、改めて環境の改善を図るに当たり、ATOKを入れてみてはどうかと改めて気づいたのです。


早速調べてみると、わたしが入っている月額定額のPassportだと、10台まではこのままの料金で使えるし、Macにもそのまま使えるので早速インストールしてみました。

何で今まで使わなかったのだろう…。


使ってみた感じではそれほどことえりと変わらないというか、ことえりって優秀だなあと感じたり、とはいえATOKのほうがやはり日本語は賢いわけで、まあまあ快適ではあります。

あと、個人の単語登録がクラウドで同期されるのがとっても便利。


ついでにといっては何ですが、iPhone用にATOK for iOS も入れてみました。1600円もするのでちょっと迷いましたけど、iPhone6 plus にしてからキーボードに指が届きづらくて不便だったのと、レビューの評判も悪くなかったので購入してみました。

こちらについてはいろいろ使ってみてから感想を述べたいと思います。


なんにせよ、どのデバイスでも同じような環境設定で使えるということは重要で、クラウドによってずいぶん使いやすくなったと思います。


ATOKにしてもEvernoteにしても、そのあたりのデバイスシームレス感が、自分にとっての継続理由の大きな部分を占めています。

インプットという病

この5年間くらいで一番自分の日常を変えた持ち物は、iPhoneだと思う。これによって暮らしのあらゆることが変化してしまった。とりわけ大きいのは、いわゆるスキマ時間の使い方が変わったことである。

 

通勤電車でも見るし、トイレの中でも見るし、自転車で移動するときも何か聴いているし、夜、布団の中で寝るまでの間も何かしら聴いている。エレベーターを待つちょっとした時間でも、メールかニュースあたりを拾って見ている。

 

職業柄、情報収集に余念がないのはいいことだし、無駄な時間を有効に使っているとも思えるのだが、立ち止まってひとりで瞑想することがすっかりなくなっていることに気がついた。日常生活を振り返ってみると、そんな時間はお風呂の中くらいになってしまった。(iPhoneは幸いなことに防水ではない)

 

ひとりで何を考えていたのかというと、それこそろくでもないことばかりだったとは思うが、iPhoneを手に入れる前は、もっと思索に耽る時間が多かった。(iPhone以前はガラケーを持っていたが、比較にならないほど用途が限られていた)

 

これは、家の中でとりあえずテレビをつけることにも似ている。以前は見たい番組だけみて後はスイッチを切っていたのだが、あるときから一人暮らしになって、さびしさをまぎらわすためか、なんとなくテレビをつける癖がついてしまった。

 

 

私は子どものころ、とても寝つきが悪かったので、布団に入ってからなかなか眠ることができず、仕方ないからいろんなことを考え、いつの間にかマンガのストーリーのようなものまでぼんやり考えるようになっていた。あの眠れない夜に考えたこと、移動する自転車の上で考えたこと、そんなことが自分の思考の一部を形づくっているような気がする。

 

スキマ時間を恐れず、何かインプットしなければという強迫観念にもとらわれず、目を上げ、まわりの景色を眺め、つまらないことでもいいから自分の頭で考える習慣を取り戻そうと思う。

いまさらながらiPhone 6plusに変えようかと考えている

docomoが高いのでauに変えようと思う。家族割とJ-COMの割引があるので。いっそこのタイミングで機種も変えようかと考えている。長いことiPhoneを使っているので、そろそろAndroidも検討したいと思い、Xperiaとかいろいろと見てみた。たしかにいくつか気になるものはあったけれど、iCloudに写真も音楽も同期しているし、アプリもあるので、やっぱりほかのものに切り替えるといろいろ不都合が出そうだ。というかめんどくさい。恐るべきApple帝国。もはや完全に囲い込まれている。

 

そうなると6にするか6plusにするかの問題になるが、結論としては6plusにしてみようかと思っている。個人的には5sのサイズ感や角ばった形が好きなので、6はまったくもって論外だったのだが、そろそろ変化してもいいかなとも思っている。6plusの大きさはかなり違和感があるが、6にしてもあまり5との違いも感じられずおもしろくなさそうなので、どうせなら大きく変えてみたいと思っている。後悔するかもしれないが…。

 

一番の問題はポケットに入れづらいところだ。Bluetoothのイヤホンを買ったほうがよいだろう。あとは片手で操作しづらいところ。これはけっこう不便になりそう。電車に乗った時に、つり革に掴まりたいタイプなので、そこがかなり気になっている。

昔、イーモバかなんかから出てた、横持ちでスライドさせるとキーボードが出てくる端末(おそらくザウルスに対抗していた)を持っていたが、これは完全に両手でキーボードを打つ想定のものだったので、電車の中だとつらく、結局あまり使わなくなったことがあった。

まあいずれにせよ、変化を楽しんでみよう。ウェブ閲覧、文字入力がどう変わるかが楽しみだ。また、iPad miniを使わなくなるかどうかも、行方を見守りたいと思う。